グライダー
p.13 人間には、グライダー能力と飛行機能力とがある。受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見するのが後者である。両者はひとりの人間の中に同居している。
p.14 明治以来、日本の知識人は欧米で咲いた花をせっせと取り入れてきた。
p.14 根のことを考えるべきだった。それを怠っては自前の花を咲かすことは不可能である。
p.15 この本では、グライダー兼飛行機のような人間となるには、どういうことを心がければよいかを考えたい。
不幸な逆説
p.17 教育は学校で始まったのではない。いわゆる学校のない時代でも教育は行われていた。ただ、グライダー教育ではいけないのは早く気がついていたらしい。教育を受けようとする側の心構えも違った。なんとしても学問をしたいという積極性がないと話にならない。意欲のないものまでも教えるほど世の中が教育に関心をもっていなかったからである。
そういう熱心な学習者を迎えた教育機関、昔の塾や道場はどうしたか。入門しても、すぐ教えるようなことはしない。むしろ、教えるのを拒む。(中略)。なぜ教えてくれないのか、当然、不満をいだく。これが実は学習意欲を高める役をする。そのことをかつての教育者は心得ていた。あえて教え惜しみをする。
p.18 それに比べると、いまの学校は、教える側が積極的でありすぎる。
p.19 かつて、漢文の素読が行われた。ろくに字も読めないような幼い子供に、四書五経といって、最高度の古典を読ませる。(中略)。漢文の素読では、意味を教えないのが普通で、(中略)。いくらこどもでも、ことばである以上どういうことか、意味が気にならないわけがない。(中略)。早く意味もわかるようになりたいと思う心がつのる。教えないことが、かえっていい教育になっているのである。
p.21 ギリシャ人が人類史上もっとも輝かしい文化の基礎を築き得たのも、かれらにすぐれた問題作成能力があり、”なぜ”を問うことができたからだといわれる。
醗酵
p.31 ビールを作るのに、麦がいくらたくさんあっても、それだけではビールはできない。
p.32 アルコールに変化させるきっかけになるものを加えてやる必要がある。これは素材の麦と同類のものではいけない。異質なところからもってくるのである。
p.32 これをしばらくそっとしておく必要がある。次の章で述べることになるが、”寝させる”のである。ここで素材と醗酵の化学反応が進行する。どんなにいい素材といかにすぐれた酵素とが揃っていても、いっしょにしたらすぐアルコールになるということはあり得ない。頭の中の醸造所で、時間をかける。あまり騒ぎ立ててはいけない。しばらく忘れるのである。”見つめるナベは煮えない”。
寝させる
p.37 ”三上”という語がある。その昔、中国に欧陽修という人が、文章を作るときに、すぐれた考えがよく浮かぶ三つの場所として、馬上、枕上、厠上をあげた。
p.38 どうやら、問題から答が出るまでには時間がかかるということらしい。その間、ずっと考え続けてはかえってよろしくない。しばらくはそっとしておく。すると、考えが凝固する。それには夜寝ている時間がいいのであろう。
p.39 大問題はヒナからかえるまでに、長い歳月のかかることがある。
p.41 努力をすれば、どんなことでも成就するように考えるのは思い上がりである。努力しても、できないことがある。それには、時間をかけるしか手がない。幸運は寝て待つのが賢明である。
p.41 無意識の時間を使って、考えを生み出すということに、われわれはもっと関心をいだくべきである。
カクテル
p.45 諸説を集大成し、よく整理してあれば、後人の便利にはなる。ただ、これを論文と呼ぶのには問題がある。
p.45 ものを考え、新しい思考を生み出す第一の条件は、あくまで独創である。
p.46 同じ問題について、AからDまでの説があるとする。自分が新しくX説を得たとして、これだけを尊しとして、他をすべてなで切りにしてしまっては、蛮勇に堕しやすい。(中略)。AからDまでとXをすべて認めて、これを調和折衷させる。こうしてできるのがカクテルもどきではない、本当のカクテル論文である。(中略)。人を酔わせながら、独断におちいらない手堅さをもっている。
エディターシップ
p.51 ”知のエディターシップ”、言い換えると、頭の中のカクテルを作るには、自分自身がどれくらい独創的であるかはさして問題ではない。もっている知識をいかなる組み合わせで、どういう順序に並べるかが緊要事となるのである。
p.51 いまかりに、ABCDEという五つの問題があるとする。それぞれはすでに一応、認められた考えである。これをそのままにしておけば五つが並存するにとどまる。これを集大成するには、ただ、それらをくっつければよいのではない。どういう順序にするか。それがまず問題である。ABCDEFの順ではまるでおもしろくないことが、EDCBAとしたら、一変して面白くなるということがある。(中略)。もっともよき順序に並んだときにもっとも大きな意味を生み出す。「詩とは、もっともよき語をもっともよき順序に置いたものである」
触媒
p.55 もともと、わが国の詩歌は、主観の生の表出を嫌い、象徴的に、あるいは、比喩的に心理を表出する方法を洗練させてきた。その端的な例が俳句である。
p.56 真にすぐれた句を生むのは、俳人の主観がいわば、受動的に働いて、あらわれるさまざまな素材が、自然に結び合うのを許す場を提供するときである。一見して、没個性的に見えるであろうこういう作品においてこそ、大きな個性が生かされる、と考える。
p.56 俳句とエディターシップが思いのほか近い関係にあることは興味ぶかい。
p.56 一般に、ものを考えるにも、この触媒説はたいへん参考になる。新しいことを考えるのに、すべて自分の頭から絞り出せると思ってはならない。無から有を生ずるようなしこうなどめったにおこるものではない。すでに存在するものを結びつけることによって、新しいものが生まれる。
セレンディピティ
p.66 こういう行きがけの駄賃のようにして生まれる発見発明のことをセレンディピティという。
情報のメタ化
p.77 思考の整理というのは、提示の思考を、抽象のハシゴを登って、メタ化していくことにほかならない。
p.77 抽象のハシゴを登ることを恐れては、社会の発達はありえない。
p.77 思考や知識の整理というと、重要なものを残し、そうでないものを廃棄する量的処理を想像しがちである。
p.78 本当の整理はそういうものではない。第一次的思考をより高い抽象性へ高める質的変化である。
p.78 思考の整理には、平面的で量的なまとめではなく、立体的、質的な統合を考えなくてはならない。
カード・ノート
p.86 調べるときに、まず、何を、何のために、調べるのかを明確にしてから情報蒐集にかかる。気が急いていて、とにかく本を読んでみようというようなことでとりかかると、せっかく得られた知識も役に立たない。
p.86 対象範囲をはっきりさせて、やたらなものに、目をくれないことである。
p.88 ノートでもやはりたくさん書きすぎないように心掛けないと、いたずらにノートの量の増大を喜ぶだけ。
p.89 一読即座にノートを取らない。たとえば、見開き2ページをまず読む。そして振り返って大切なところを抜き書きする。
p.89 自分の考えと同じものは青、反対趣旨のところは赤、新しい知識を提供しているところは緑。
p.94 読み終えたら、なるべく早く、まとめの文章を書かなくてはいけない。
p.98 何かを思いついたら、その場で、すぐに書き留めておく。
p.99 1日ごとの欄をすべて、着想、ヒントの記入に使う。(手帳)
p.100 別のノートを準備する。手帳の中でひと眠りしたアイディアで、まだ脈のあるものをこのノートへ移す。このノートはあまりいい加減な安物でない方が良い。
メタノート
p.105 まだ生きているもの、動き出そうとしているものは、新しいところへ転地させてやるといっそう活潑になる可能性がある。
p.106 メタノートへ入れたものは、自分にとってかなり重要なもので、長期にわたって関心事となるだろうと想像されるものばかりのはず。
時の試練
p.125 時の試練とは、時間のもつ風化作用をくぐってくるということである。
p.126 自然にまかせておかないで忘れる努力をする。(古典化の時間を短縮する)
p.126 古典的で不動の考えを早く作り上げるには、忘却がなによりも大切。思考の整理には、忘却がもっとも有効である。(中略)。思考の整理とは、いかにうまく忘れるか、である。
捨てる
p.132 ひまにまかせてゆっくりする(捨てる)。忙しい人は整理に適さない。とんでもないものをすててしまいやすい。
p.133 本はたくさん読んで、ものは知っているが、ただ、それだけ、という人間ができるのは、自分の責任において、本当におもしろいものと、一時の興味との区分けをする労を惜しむからである。
とにかく書いてみる
p.136 各作業は、立体的な考えを線状のことばの上にのせることである。
p.138 もうこれ以上は手を加える余地がないというところに至ってはじめて、定稿にする。書き直しの労力を惜しんではならない。
p.138 書いてみることのほかに、聞き上手な相手を選んで、考えていることをきいてもらうのも、頭の整理に役立つ
p.138 現行に書いたものを推敲する場合でも、黙って読まないで音読すると、考えの乱れているところは、読みつかえるからすぐわかる。
p.138 『平家物語』はもともと語られた。繰り返し語られている間に、表現が純化されたのであろう。
しゃべる
p.159 調子にのってしゃべっていると、自分でもびっくりするようなことが口をついて出てくる。やはり声には考える力をもっている。われわれは、頭だけで考えるのではなく、しゃべって、しゃべりながら、声にも考えさせるようにしなくてはならない。
知恵
p.178 本に書いてない知識というものがある。すこし教育を受けた人間は、そのことを忘れて何でも本に書いてあると思いがち。